年末になくしたと思っていた写真データが「いくつか」出てきました。
今回の記事もそのひとつ。「2018年・秋」の出来事です。

23年使ったポリタンクのおはなし。

阪神淡路大震災の時に救援物資でいただいた20リットルサイズのポリタンク。
当時、働いていた六甲の職場が、留学生の避難場所として開放していたこともあり、「アメリカからの救援物資です」と地域の方が水の入ったポリタンクをたくさん運んできて下さいました。US WATERと書いてありますが、文字通りアメリカから届いた水でした。飲用にはできなかったけれど、ずいぶん役に立ちました。(一緒にバナナリパブリックのTシャツも段ボールに数箱もってきてくださった記憶があります。)

水は職場のみんなで使って、空の容器をひとつ分けてもらいました。
容器はベージュと黒の2色があったのですが、私は黒いほう。持って帰った翌日からこのポリタンクは大活躍してくれたんです。
我が家はおかげさまで電気は震災翌日から通っていたのですが、3月末まで断水、断ガス。
それで毎朝、近くの公園に来る給水車(宇治市の給水カーがいつも来てくれていました)まで水汲みに。

このポリタンクをいただいてから水くみが楽になったんです。
でも20リットルということは水を入れると約20キロ……よく運んだなあ~ああ、私も若かった。水汲みのあと、電車が1か月以上不通だったから、1時間近く自転車こいで毎日通ってたんだもんなあ。

このポリタンク、大きなキャップと、小さなキャップを使い分けられるので、水が入れやすく、注ぎやすくとても便利。
震災後おちついてからは、ペットボトルとポリタンクで水を備蓄しておくようになり、このポリタンクの「第2の人生」がはじまりました。水を入れて部屋で見守り番として鎮座。水は毎年1月に交換していました。

めぐりめぐって(2018年で)23年。
この20リットルが大変重たく感じるようになりました。そしてプラスチック用品ゆえ劣化も。
でもはるばる海を越えて神戸にやってきてくれて、そして震災のあの時間から20年以上を一緒に過ごしてきたポリタンクは捨てられません。どうしよう・・・。

人と防災未来センター http://www.dri.ne.jp/
こちらで阪神淡路大震災に関する資料を収集・保存していることを知りました。
問い合わせてみると、当時を語る1次資料として寄贈できることがわかりました。

建物壁面には南海トラフ地震がおきると津波がここまで、というサインが。
え、こんなところまで! ↓

書類を書いて、人と防災未来センターの資料室へ。

2018年秋のことです。
そして今、「センター所蔵資料検索」で検索すると、ちゃんと写真付きででてきましたよ。
ポリタンクは収蔵庫で「第3の人生」をすごしています。

ありがとうポリタンク!

今年2020年1月17日で阪神淡路大震災から25年です。