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賢治たちの自炊めし 4 [宮沢賢治の事]

宮沢賢治の食の風景を「自炊」をテーマに追いかけた「賢治たちの自炊めし」。
ワルトラワラ49号(2022年7月発行)に掲載の
「4膳目」は「自啓寮の校長汁」。
ブログ掲載用 49号 表紙.jpg
大正5(1916)年、20歳の宮沢賢治さんは盛岡高等農林学校2年生。自啓寮(じけいりょう)で寮生活を送っていました。
盛岡高等農林学校は、現在の岩手大学農学部の前身です。

校長汁は、初代校長、玉利喜造博士が考案した学生のための安くて栄養のあるスープ。
玉利校長についての詳しくはワルトラワラ49号で。ここでは割愛しますが、その教育方法が個性的で素敵なんです。

だれが名付けたかそのスープは「校長汁」「ゴチョー汁」「ゴチョウ汁」と呼ばれ、週3-4回登場するヘビロテメニューに。
だけど、大正2年の献立投票結果では120名のうちの「5票」(ちなみに上位はライスカレー、茶わん蒸し、鮭のフライでした)。人気はいま一つでも、校長退職後も自啓寮の献立に取り入れられ続けた、愛されメニューだったようです。

玉利校長は、宮沢賢治さんが入学する6年前、明治41(1909)年に退職。だから二人は直接的なかかわりはなかったと思われます。しかし、このスープは校長退職後も、自啓寮の献立に残り、昭和の初めの記録にもそれらしきものがでているので、賢治さんも味わっていたはず。


さて、自啓寮は食事は自炊制で「自炊委員」がいました。そうここが今回の要!「自炊」!

といっても寮生約120人の調理のためには調理人が雇われていました。
自炊委員の主な役目は、献立作成と食費のやりくり。戦争や飢饉で食糧不足の時代には、卵、肉、米、野菜は各学科から調達する役割も担っていたようです(農学校ですから、作ったりお世話していたものが食材になったというわけですね)。自啓寮の「自」は「自治」。そのため自分たちが食べる食事にも学生たちはちゃんとかかわっていたのです。

今回の再現料理は「校長汁」。
ブログ掲載用 49号 賢治めし 4.jpg
基本の「校長汁」は、水に漬けた大豆をすりつぶして作った汁に、生野菜のみじん切りを入れたものだったようです。大豆の代わりにおからを使った「校長汁」の時代もあったようですが、今回、私は水に漬けた大豆をすりつぶして作った「呉汁」をベースに「ちょっとだけ西洋風な呉汁」を作りました。

使う大豆は、岩手の友人が作った「リュウホウ」(Kさんありがとうー)。
味噌味に、こしょうも少々。玉ねぎ、にんじんの香味野菜をたっぷり加え、野菜の切り方はフランス料理の「ペイザンヌ」=「色紙切り」にしました。ペイザンヌはフランス語で「田舎風」「農夫風」という意味なので。

呉汁は、栄養豊富で体も温まるので、寒い季節の郷土料理として日本各地にあります。だから「ゴチョウ汁」「ゴチョー汁」の「ゴ」は呉汁の「呉」なのでしょう。

それからきっと「玉利校長のごちそう」の「ご」。

詳しくは「ワルトラワラ49号」に。
  49号目次 ↓ クリックすると大きくなります
ブログ掲載用 49号 目次.jpg
・・・ ・・・ ・・・
「自炊」をキーワードに賢治さんとその時代をながめる試み「賢治たちの自炊めし」これにておしまい。たった4回で、掘り下げ方が浅~いところもありますが、賢治さんを追っていくのはおもしろいなあ。食からその人、その時代をながめていくのは楽しいです。ほんのひとかけらでも楽しさが伝わっていたら幸いです♡

長~い文章におつきあいいただきましてありがとうございました。

〇「ワルトラワラ」宮沢賢治を愛する人、研究者が集まって執筆している研究同人誌です。主宰は賢治研究者の松田司郎氏。冊子はバックナンバーも含めて花巻市の宮沢賢治イーハトーブ館 https://www.kenji.gr.jp/ で取り扱いがあります。
・・・このブログのコメントへ連絡をいただければ対応できます。
ブログ掲載用 ワルトラワラ.jpg


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